私は後輩指導の際に「計算するな、出し切れ」と伝えている。ここ最近では入社数年後に転職する人が増えている。それを全否定するつもりはないが、現在勤めている病院で必要とされる人材になり、惜しまれながら辞めるべきではないだろうか。そしていまいる現場で必要とされるには、力を出し切ることが不可欠なのである。
おじさん世代では「若いときの苦労は買ってでもしろ」とよく言われた。人には若いときにしかクリアできないチャレンジというものがある。それを避けると後々ツケが回ってくる。過去に困難なことを乗り越えれば、未来への一歩を踏み出すことができるのだ。20代の頃は、目の前のことややるべきことに対して、自分の力を出し切ることが何よりも大切といえるだろう。
後輩の指導では人生に起こることはすべて必然で必要だ。しかもベストのタイミングで訪れているということを如何に後輩の心に染みるかどうかを考えていくことが必要だ。
苦労ほどありがたい恵みはない。幾多の苦労に見舞われるのは、徳を積み、幸せになれという神様からのエールである。困難によって人間が鍛えられ、そして徳や運が味方に付き、運命が拓けていくのだ。一方で、恵まれているのは不幸の前兆でもある。現状に甘んじた瞬間、国も人も会社も衰退の一途をたどるのだ。
そして看護師としての成長は「毎日0.1%、仕事の改善を1年間続ければ、44%もの改善になる」。たとえば、毎日努力を積み重ねるために、自分なりの仕組みを作ることが重要だ。短い単位で自分の仕事を客観視するために、一日単位の日報をつけるのもおすすめだ。こうした地道な積み重ねが、大波に乗るための秘訣であり、運の良い人になるための方法論なのだ。
ここ最近後輩指導のために戦略を立て、その戦略を実行するための細部を練り上げ、確実に実行することを繰り返している。すべての看護の真髄は物事を達成するには、「いかにして実行したか」が重要となる。
Z世代には「この昭和の人間が何を言ってやがる」と必ず飲み会で愚痴の対象のなっていることだろう。しかしその程度で折れる信念ではない。言いたいやつには言わせておけばいい。その先輩の指導で「どのくらい成長するかは後輩次第なのだから。」愚痴で済ませて放置するようなやつはその程度で終わっていく。先輩にも教えることに対する限界は存在するのである。いつまでも成長しようとしない後輩の指導は先輩のハードルを下げて対応することにつながる。結局のところ因果応報、後輩に返ってくるのだ。
先輩看護師の本音は「飲み会に行ってもいい。愚痴で済ませてしまってもかまない。やることだけやってくれれば」なのだ。