最近仏教やブッダの言葉に感銘を受けることが多い気がします.
如何に心静かに生きていきたいかを真剣に考えるお年頃になっているのだなぁとしみじみ感じます.そんな私が特に感銘を受けた教えを今日は書いていきたいと思います.共感できた、納得できた、生き方が少し楽になったと思った人は引き続き、当ブログを見ていただけると幸いです.
心配ばかりしてしまうあなたへ
1.心配の正体を知る
仏教では「心配」とはまだ起きていない未来に対する妄想だと説かれている.
備えることと心配することは違う.
備えるというのは、冷静に未来を見つめ、今できる準備を行うこと.
心配するというのは、起きるかわからない未来を繰り返し想像し、心だけを疲れさせてしまう行為.
「ただ今を生きなさい」
2.心配は「想い」でしかないと気づく
心に浮かぶ心配や不安は実際にはただの思考にすぎない.しかしその思考を現実のものと認識してしまう.仏教では「織」と呼ぶ.物事を認識する働きのこと.
仏教ではこの世の全ては心の映しと説いている.想いは現実ではないことを知ることが必要.
3.安心は外になく、内にある
仏教では外縁(外側にある条件に心を預けている状態)があり、常に変わりゆくもの.内なる安心とは「今、この瞬間を受け入れる力」.何が起きても、心を乱さず、穏やかに受け止める心の状態.
すべての苦しみは執着から始まる.
4.不安は消すものではなく、共にあるもの(慈)
不安というものは消そうと思うと逆に強くなるもの.ブッダは「苦しみの感情を無視せず、否定せず、受け止めること」と勧めた.「観」という修行法.
自分の感情に対しても優しさを向けることができた時、初めて心の自由を得る.
5.大丈夫は心の中にある言葉
智慧とはものの見方の転換.心の向け方を変えると見方も変わる.安心というのは「誰かが与えてくれるものではない」.自分の中に育てて行くもの.
何を言われても動じない心を手に入れるには?
人の心は「風に揺れる草のようなもの」と言われる.
ブッダの教えにある「贈り物のたとえ」
「もし誰かがあなたに贈り物を持ってきたとしましょう.しかし、あなたがその贈り物を受け取らなかったら、その贈り物は誰のものでしょう?」「それは送り主のものだ」.つまり人の悪口も同じこと.受け取らなければ言った人のもので、自分のものにはならない.
言葉は贈り物と同じ.良い言葉だけを受け取るようにすれば、あなたの心は穏やかになります.
「怒りを持って相手の怒りに応じるならば、それは炎を油で燃やすようなもの.」つまり、誰かに嫌なことを言われた時、それに怒りで返せば、結局は自分自身が苦しむことになる.逆に、言われたことを無視すれば、相手の言葉の力はなくなる.
具体的にどうすればいいのか.それは「心の盾を持て」.これは自分の心を守るフィルターを作ること.誰かがあなたを批判した時、すぐに反応せずに、「これは本当に受け取る価値があることばか?」と考えてみる.価値がないと感じたら「これは私のものではない」と心の中で言う。この習慣を続けることで次第に人の言葉に影響されにくくなる.
相手の言葉は「その人の心」を映す鏡
他人の言葉もまた「その人自身の心を映し出したもの」にすぎない.悪口ばかり言う人は実は自分自身を批判する否定する心を持っている.他人を批判することで自分の不安や劣等感を紛らわせようとする.
逆に優しい言葉をかける人は心に余裕があり、満たされている.
他人の言葉に傷つく人は「相手の言葉を自分ごととして受け取ってしまう」傾向がある.
本来、相手が発する言葉はその人自身の問題である.
言葉に心を乱されないためには「相手の問題と自分の問題を切り分けること」が大切.「無常」つまり「すべてのものは移り変わる」という意味。他人の評価は絶えず変わるものだと言うことを理解すれば、その場の言葉に一喜一憂することが馬鹿らしくなる.人の評価は移り変わるものであり、それに振り回される必要はない.
人間関係で疲れてしまう大きな原因の一つが、「他人の期待に応えようとしてしまう」こと.仏教では「期待されることと自分ができることを切り離して考えることが大切だ」と説かれている.他人の期待はその人自身が勝手に作り出したもの.だから期待通りにできなかったとしても罪悪感を抱く必要はない.「すべての人に好かれる人はこの世にいない」とブッダは言っている.だからこそ「好かれようと頑張ることをやめることが大切」である.「ありのままの自分を受け入れることが大切だ」とされている.他人の期待に応えるために生きるのではなく、自分の信じる道を生きることが心の平安につながる.
相手の言葉を「ありがたいもの」として受け取る.
この言葉から何か学べることはないかと考えることで、ただの悪口が「成長のきっかけに変わる.ブッダは「悪ぐちを言われたら、それは自分を見つめ直すチャンスである」と述べている.理不尽なことを受け入れる必要はないことは注意.あくまで言葉の感じ方が変わる.
批判されたら「新しい視点を知るチャンス」、悪口を言われたら「人の心を学ぶ機会」と考えられるようになれば怖くなくなる.
仏教の教えでは「何を受け取るかは、自分で選ぶことができる」とされている.
「砂の中から砂金を選びとるように、良い言葉だけを拾いなさい」
「すべての人の意見を聞く必要はない」なぜなら人によって価値観は違うから.
最も大切なのは「自分の心の声を聞くこと」.仏教では自分自身を拠り所としなさいと教えている.
どうでもいいと思えることが心を軽くする方法
・執着を手放すと心が自由になる
どうでもいいということは執着しないということ.評価を求めることに執着せず、自分のために生きるという意識を持つことが大切.
迷いの正体は心が生み出している.相手の気持ちはコントロールできない.「外に求めるな、自分の中に答えはある」とブッダは言っている.
・どうでもいいことに振り回されない習慣をつける
仏教では人間の苦しみの原因を「渇愛」と呼ぶ.「もっと欲しい、もっとこうであって欲しい:と願い続ける心のこと.その願いが強すぎると執着するという状態になる.執着は「それがないとダメだという思い込み」を生み出し.心を縛ってしまう.どうでもいいと思うことは相手をコントロールしようとしないということ.自分でコントロールできないことを手放す.
・ものを減らして心の余白を作る.(持たないことこそ最大の自由)
「それ、本当に必要?」と考えることが必要.
「最悪のケース」を考えてみる
「今あるものに目を向ける」足るを知る
行動:断捨離をする→「べき思考」をやめる→一度距離を置いてみる
環境:執着しない人のそばにいる→情報の取り入れ方を変える
・今この瞬間に集中することで、幸せを感じやすくなる.
「この人はこういう人なんだ」
期待をしすぎず、自然体で接する
「どう思われるか」より「自分が心地よくいること」を大事にする.
・変えられないものは潔く手放す.
ブッダの説いた自由とは何かを持つことではなく、「何かに縛られないこと」
本当の幸福とは、何かを手に入れることではなく、あるがままを受け入れること.
水のように生きる.つまり流れに身を任せ、柔軟に生きること.
執着から逃れるためにできること5つ
1.1日1回「どうでもいい」と言ってみる.
2.ものを減らして心を軽くする
3.「今ここ」に集中する習慣をつける.
4.コントロールできないことは手放す
5.足るを知ることで、今ある幸せに気づく.(知足)